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久しぶり

 投稿者:江原 游  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時58分11秒
  久しぶりである。やめようと思ったが、私の備忘録でもあり、徒然なるままの思い出でもある。
2年もすれば、八十路である。生きているやら、いないやら、今はわからない。50数年前とは、隔世の感がる。よもや、21世紀がこのような状況になるとは、かっての青年は思わなかった。世界人類が共存共栄し、平和な時代をもたらすと思っていたが、それが大きな間違いであったことの落胆は大きい。今、思えば夢物語であったようだ。
 
 

反対らしい!

 投稿者:江原 游  投稿日:2016年 8月17日(水)06時39分5秒
  安倍総理は、オバマ政権が検討している核兵器の先制不使用政策について、ハリス米太平洋軍司令官に「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」として、反対の意向を直接伝達したと報じた。(米政府高官の話)唯一の被爆国として核廃絶を言いながら、なんだか、わけのわからないことを言う総理だ。  

民不在

 投稿者:江原 游  投稿日:2015年 5月10日(日)11時48分38秒
   権力はたえず自己都合で動き、自己都合で政権を主張し、それを当為とする。国民のことなど眼中にはない。この政権、まるで前時代的であり、70年前のあの恐ろしく悲惨な時代を思い起こさせる。ただ、国民はいつまでも黙ってはいまい。その時、この傲慢な政権は自己破滅、自己壊滅を招く。民の力を疎かにしてはならない。  

不断の努力

 投稿者:江原 游  投稿日:2014年12月27日(土)10時50分29秒
  「権利」、命が命として豊かに、幸せに生きるためのものであろう。それはすべての生き物に造物主が与えたものである。生きてやがてその生を終えるまで。まぎれもなく、自然の摂理ある。
 日本国憲法第10章は、最高法規として第97条、第98条、第99条に明記している。まさしく21世紀は、戦争のない自由で平和な世界を構築する使命をこの憲法によって実現せよと願ったのであろう。だが、70年をもの歳月が風化させたのであろう。学ばなかったこと、教えなかったこと、ともに自己責任である。憲法を名実ともに実効的に運用させる権利、義務を怠ったのは残念ながら国民である。103条ある憲法の条文がほとんど「絵に描いた餅」になっているのは嘆かわしい。
 

96条風化させるな!

 投稿者:江原 游  投稿日:2014年 6月 1日(日)06時45分2秒
   国会では集団的自衛権の行使について、その適用範囲についての論戦が展開されている。既成事実づくりである。先に法手続きを踏むのが原則であり、それがセオリーである。それで、憲法改正有りとなれば、それはそれで筋を通すことであり、国民が求め、決めたことになる。不満があろうともそれが民主主義の原則である。近代国家の憲法はそのほとんどが硬性憲法である。国家の最高法規を総理の意向や政党のエゴによって、利益集団の徒党によって軽々しく扱ってはならない。
 

いい明日(あした)

 投稿者:江原 游  投稿日:2014年 1月 7日(火)10時22分13秒
  いい明日になってほしい
その日の次の明日も
次の明日のその次の明日も
そしてその次の次の明日も
ずっ~とずっ~と次の明日も
いい明日であってほしい
みんながいい明日を待っている
 

悪法は法にあらず

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年12月31日(火)04時37分49秒
  「人間として生きるに値する」憲法25条である。その先駆けはワイマール憲法である。権力者の恣意によって「人間を生きること」を制約されない。「人間らしく生きる」のではない。「人間、そのものをを生きるのである」
くどいようだが「人間らしく、人らしく、自分らしく」ではない。
 日本国憲法第11条は「国民の基本的人権の享有、基本的人権の永久不可侵」を明記している。それは、アメリカ独立宣言と同じく、その精神は為政者によって損なわれてはならい天賦の権利である。時に為政者はよからぬことを考えるものだ。それは悪しき企みを持つ時にとうとつに出てくる。人間を蔑ろにする悪法である。だが、悪法は法として認めない。何故なら、それは「天の理に背く」からである。
 

人間の権利の行使

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年12月28日(土)13時48分43秒
編集済
  「悪法は法にあらず」市民国家の原則である。従って、”悪法守るべからず”である。
そして、そのことはアメリカの独立宣言にも端的に示されている。
それは自明の真理であると。人間は平等に造られており、生まれながらにして侵されることのない一定の権利を造物主によって与えられている。そこには、生命、自由。幸福の追求の権利も当然のこととして存在する。もし、政府がこれらの権利を侵すようなことになれば、人民はその政府を倒す権利を持っていると。基本的人権は自然権思想、つまり天賦人権説がその基礎になっている。ルソーやロックの抵抗権、革命権である。人民、国民、民衆はこのようなすごい権利を持っている。悪い政府は完膚なきまでにやっつける権利である。まず、選挙で彼らを国会から追放することだろう。そして、本当に優秀な人材を国会に送ることだ。
 

生き方

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年10月27日(日)11時30分32秒
  「生き方って何ですか」
生き方といえば、人の生き方であろう。この時代に考えなければならない大切な命題である。
だが、この時代そのようなことはどうでもいいように思える感がしないでもない。社会的状況がそうなのだ。自分らしく、人間らしくではなく、「自分を人間を生きる」ということがどうもはっきりしない。「基本的人権」というものがある。天賦人権説の思想である。これが、いよいよ損なわれようとしている。人が生まれながらにしてもち、誰からも奪われない、永久不変の権利であり、われわれ人にとっては宝物であるはずなのだが・・・。
 

責任と義務

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年 8月20日(火)14時53分39秒
  節操とか節度と言ったものが希薄になった。同時に責任とか義務といったものも疎かにされる時代になったものだと思う。家族に対する、あるいは社会に対する責任・義務である。一方、自由が謳歌されているように思う。謳歌といったが、本物の自由ではなく、勝手気ままな自由である。そこには、社会の家族の共有の財産と言う考え方はすでにない。人と人との関係を失ったそんな時代の勝手気ままである。商業主義、資本の論理が牙をむき出しにして人間に向かって来るようで恐ろしい。「競争が何故悪い」といった、総理がいた。競争はよくないのだ。資本が牙をむく、不条理な競争はよくないのだ。一国の宰相がそのようなことを言ってはいけない。
 しかし、今国民は自己責任を問われている。望んだわけではないが、国民の責任と義務が今のこの国を生み出したのだ。

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認めない!集団的自衛権の容認

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年 8月10日(土)09時38分5秒
編集済
  集団的自衛権の行使を全面解禁を提言する意向を明らかにしたそうだ。安部総理の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」のようだ。幾多の戦争を経験し、21世紀を迎えた今世紀はまさにこの地球上から理不尽きわまる戦争と言う化け物を永久に放逐をするというのが国際社会の願うところではなかったか。もちろん日本はその先頭に立つ義務と責任を持つ国であったはずだ。にもかかわらず、かっての過ちをまたも侵そうとしている。単に好戦主義者と言うだけではなく、無知というべきものが存在し、なおかつ人間として欠落した、いわゆる欠陥を指摘したい。武器を持たないものを力で圧殺すると言うのは赤子を踏みつけにして殺してしまうのと同じではないか。そういうことであれば、そういう時代になると言うのであれば、何をか言わん。そのような地球と言う惑星はこの宇宙から消失したほうがよい。

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東電はどう責任をとるのか

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年 8月 7日(水)10時06分13秒
編集済
   福島第一、汚染水危機、東電のことは書きたくない。思い出したくもない。常軌を逸脱しているからだ。でも、やはり捨て置くことはできない。この責任は、東電、原子力行政、それに加担した科学者等々である。世界の海を汚せば、やがてさらに大きな報いがあることを知らされるであろう。

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あるとき、生き方が変わった

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年 8月 6日(火)08時40分56秒
編集済
  ガス抜き、アメとムチ、徹底した差別化。騙し戦術である。イドラの坩堝化としている。
このような時代をつくりだすのに手を貸した似非学者連中の責任は重い。
 「肥った豚になるよりは痩せたソクラテスになれ」「ただ酒を馳走になることを自ら戒めよ」、「高い志を持って、名利を求めず、保身に走らず、つねに自分が正しいと思う道を歩め」大学の卒業式でかっての学者がはなむけにおくった言葉である。一億こぞって節度や節操が失われた時代である。高い志を持つなど、とうてい考えられない。不毛な時代である。

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自分を生きる

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年 8月 4日(日)12時02分30秒
編集済
  権力にも金にも、地位にも驕らず、媚びず自由に己の道を行きたい。
それが茨の道であろうともその道を選びたい。何故なら人生とは誰のものでもなく、
自分自身のものだからである。

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ワイマール憲法

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年 8月 2日(金)19時09分43秒
編集済
  ドイツ国憲法である。
第5章経済生活
第151条①経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生活を保障する目的をもつ正義の原則に適合しなければならない。
人として生きるに値する世界で初めて生存権を規定した憲法でありドイツ民族だけでなく、世界の人類が待ち望んだ憲法である。
しかし、その後のドイツは政治・経済は混乱のうちに推移した。やがてナチズムより、ヒトラーというクレージーな男を登場させた。超国家主義的政策により、恐怖政治を展開し、世界を震撼させた。ユダヤ人の大量虐殺などもナチズムにより推進された。何故、麻生副総理はこの話をもちだしたのかわからないが、この講演が終わった時、会場から拍手が湧き起こったのだ。何に共感し、共鳴したのか。此処に集まった人たちはいったい何者なのか。恐ろしい集団である。
 

放置できない!

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年 8月 2日(金)07時52分37秒
編集済
  何をか言わん。ナチス発言。日本国の副総理、世界に恥をさらす。おそらく議員書諸氏の多くもこのレベルであろうと誤解でも曲解でもなく思われても致し方ないであろう。おぞましい発言である。
失った信頼、そして日本人観、もはや国民としてこういう輩を放置できまい。日本の子供たちの未来のためにも。
 

真夏の夜の夢(2)

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年 7月26日(金)09時18分14秒
編集済
   グローバル化の波の中で、Wスタンダードと言うのは解せない。国際化すればそれにあった国際標準が必要だ。例えば、日本国憲法を世界のスタンダードモデルというのはどうだろうか。これからの世界はそうあるべきで、軍事力の強化という前時代的発想ではなく、超未来的発想が現実の課題ではなかろうか。その意味で憲法の改悪には反対である。日本国憲法は現代の世界に多大な貢献のできる可能性、秘訣と言うべきものををもった憲法である。とかく、この憲法を与えられたものと言うが、極めて優れた憲法であり、いいものはいいものとして尊重すべきであり、大切にすべきである。だが、好戦主義者にとっては不都合であろう。憲法は決して好戦主義者のものでないことを言っておきたい。
 TPP問題が焦眉の課題となり、賛否両論がある。ところで、自由競争のもとではわが国だけが抜けがけはできない。ご都合主義では具合が悪いからだ。しかし、日本の農産物は世界をリードする高品質である。
 価格的におりあいがつけば、当然いいものを手に入れたい。しかし価格競争に負けると言うのであれば、日本の農産物は国内で消費する。
 これはどうであろうか。つまり、有効需要政策論である。日本の国民生活を飛躍的に向上させるような、再分配策である。「健康で文化的な生活をする権利」を実現すること、人間らしく生きる権利である。憲法25条をプログラム規定などと言わず、実質的に実現することである。さらに付け加えるならば憲法14条の実現でもある。
 どのような消費財を選択するかは自由である。だが、安価な農産物に耐えうる高品質の商品を手に入れることの可能な国民所得を保証する、心身ともにリッチな日本である。それには政府・企業人の頭の中身を抜本的に変えることである。未来志向のできる頭脳である。
人間の生存するこの地球に輝きのある世界を実現する。それが未来志向である。
 問題は国策がからんでいるから都合が悪い。工業立国と言う国策である。もちろん、工業立国大いに結構であるが、食料自給率を高めることも大切である。南海トラフだけの問題ではない。天災も人災も予測できないことは多々ある。
 人が生きるための糧、これを自国で生産すれば、いざと言うときの危急を免れること大である。
 
 

人間の尊厳を掲げ、一歩、一歩未来へ

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年 7月22日(月)10時44分46秒
編集済
  選挙が終わった。退潮傾向にはどめがかからない党、影も形も失った党、党としての存在意義を持たない党、そして何故か原発推進、TPP推進、憲法改悪推進、国民生活を蔑ろにする期待も歓迎する余地のない党であるにもかかわらず大勝した党、今回の選挙は選挙民にさまざまな課題を残したように思う。良くも悪くも、これが主権者のアベレージであろう。一方、組織を持たないにもかかわらず快挙を果たした無所属の候補者もいた。ある意味でひとつの事件であり、立場を超えて平和と民主主義の旗を掲げるならば、日本の未来明るい。

 もう、一つは一貫して国民の側に立ち、平和と民主主義を掲げる日本共産党の東京、大阪、京都での快挙である。
 ねじれ解消云々と言われたが、政権政党が暴走すれば、国民の多くは黙ってはいない。「天賦の権利」を揺るがすようなことがあれば、「アメリカ独立宣言」の文言にあるように力づくで政権を転覆させることもありうるのである。と言うのは、今この世界で起きている人民蜂起の例を見れば明らかであろう。
 それに、憲法問題にしても、今の「日本国憲法」を上まわる優れた憲法を策定する能力が、この政権与党にあるとはとても考えられない。なぜなら、彼らには「金権の尊厳の」思想はあっても、「人間の尊厳」の思想はないからである。
 

真夏の夜の夢「この国の末路」

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年 7月21日(日)11時16分10秒
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  TV・IT・新聞・紙爆弾等々によるCMの競争が熾烈だ。その加熱により、やがて燃え尽き資本の論理の末路をみる。この国だけではない。グローバルエイジーの結末であり、どこの国も同じ運命をたどるのは宿命であろう。この宿命的状況を打開するために、核のボタンを押す無能な輩はいないと思うが、クレージーな奴が出てくる可能性が全くないと断言はできまい。  

見えない本当の姿

 投稿者:江原 游  投稿日:2013年 7月21日(日)07時52分47秒
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  三無主義と言う言葉が流行した時期があった。30数年前であったろうか。「無気力・無関心・無感動」である。さらに、「六無主義」というのもあった。主に、高校など教育現場での状況にその典型があった。これは、どうも教育行政の失敗、あるいは欠陥から生じた言葉のように受け取られていた面もあったように記憶しているが、必ずしもそうではなく本当は教育行政の狙いがそこにあったのではないかという節もないではない。思春期の少年少女がそのようなことになるはずがないからである。思春期と言うのは肉体や精神が躍動するときであるからである。非常に短い期間だが急激に成長するという特徴がある。私は「思春期を奪う教育」に対する反動であったのではないかと推測している。
 日本の伝統的な「教育で始末をする」という思想である。為政者はこの若者のエネルギーを奪うためのあらゆる教育政策を展開し、日米同盟をより強固に推進する。TVの映像を利用し、若者の生活は遊び型に変わり、やがて、学生運動は収束のときを迎える。この頃、「養殖人間」と言う言葉が出てきたことを思うとき、まんざら「当たらずとも遠からず」である。

 ところで、この「三無主義」と呼ばれた時代を生きた若者は、今どのように成長しているであろうかと思ったりする。因果関係はともかく、子育てを放棄する若い父親や母親、簡単に離婚する風潮、経済社会にひそむ暗部には、生命倫理とは無関係に働く資本の論理がある。育児放棄や離婚の問題は、この社会の姿、欠陥をを象徴している。すべては為政者の責任であるが、そのような為政者を選ぶ国民の責任でもある。透明度の高い社会を作るのは国民の力によるしかないであろう。
 

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